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何年か前に母が甲状腺がんの手術をした時に、善意からいろいろな代替医療を勧めてくれる母の友人たちがいた。
母は、その都度、心揺れたりするのだけれど、なんだか高価だったり、逆に害がありそうだったりで、やめときなよと説得するのに苦労した。
その時、一番、有効だったロジックはまさに上の議論を言い換えたようなもの。
・かあさん、それって、十年以上前から、効くとか効かないとか言われているよね。飲んで治った人の話ばかり聞こえてくるけど、飲んで治らなかった人の方がすごく多いと思うよ。あと、飲まないで治った人もいると思うよ。誤診とか、何かの拍子とかいろいろあるだろうから。それに、製薬会社が、がんの薬を探すのにどれだけお金を使っているか知っている? もしも、これが本当にがんに効くんだったら、とっくの昔に、どこかの製薬会社が薬にして大もうけしているよ。そうならないのは、ちゃんと調べたら効果がなかったってことなんだよ。
みたいなふう。
イタリアのサッカーの試合で、ゴールエリァのファールを取られてフリーキックになったことがありました。
誰もがエーッとなりました。
攻めている側もわかるミスジャッジでした。
サッカーは、ミスジャッジも含めたゲームです。
「いただき」でシュートを打っていいシーンです。
フリーキックをする選手は、フワーンと蹴って、わざとはずしました。
誰もが大拍手です。
最終的には、わざとはずしたチームが勝ちました。
サッカー場にいた人は最高のシュートを見たのです。
両チームとも「いまのは誤審」とわかって、もう1つ上の試合をしています。
見た目の試合に勝って生き残るよりも、記憶の中に生きのびています。
みんなの記憶の中に生き残ると同時に、気持ちが自分自身の人生に残ります。
審判に決められることではないのです。
ギリギリセーフかギリギリアウトかは自分の中の判断です。
ぶちキレそうなところを「危なかった。いま怒るところだったよ」というのはセーフです。
ぶちキレそうだったのがぶちキレていません。
「許した」もセーフです。
審判のミスジャッジに、「いまのはおかしい」と食ってかかるのを、ファンは見たくありません。
審判に食ってかかるのを見たくて、競技場へ行っているのではないのです。
ミスジャッジでも「いまのファールは厳しいよね」と言いながら見ています。
そんなこともあると、選手も見ている人もわかっています。
審判も「しまった」と思っています。
すべての人がここで救われるのです。
審判は、「フリーキック」と言ったあとで、「ゴメン、いまのはちょっと違った」とは言えません。
フリーキックをわざとはずすことで、審判の面子もつぶさずゲームの続行を共有できます。
これが大人です。
子どもは、みんなが感動しているのを見て「スポーツっていいな」と思います。
ただ勝つよりも上の世界があるのです。
何度でも言いますが、「そうめん+豆乳+食べるラー油=坦々豆乳めん」です。: ワインとごはん
食べラーじゃなくフツラー(普通のラー油)でももちろんうまし!
カンタン過ぎるよ~。お湯300ml+豆乳200mlで、そうめん1束を2分くらい茹でて、
器に盛って、万ネギ、食べラーをかけるだけだから~。
昔のえらい人は言いました
キャバクラとは
イケメンや金持ちが行けば釣り堀だが、
庶民が行ったら水族館のようなモノだと